大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島高等裁判所岡山支部 昭和49年(う)120号 判決 1975年3月27日

被告人 金甲山観光産業(株) 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人浅越和夫は無罪。

被告人金甲山観光産業株式会社に関する公訴事実中、

就業規則届出義務違反の点につき同会社は無罪。

休日付与義務違反の点につきこれを岡山簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、記録編綴の弁護人岡崎耕三名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は要するに、原審において被告人浅越和夫は就業規則届出義務違反の点につき有罪とされたが、被告人金甲山観光産業株式会社(以下「被告会社」という。)は、原判示第一の昭和三八年三月ごろ、同年四月一日から施行の就業規則を作成し、そのころこれを所轄岡山労働基準監督署長に届け出ており、かりに届け出ていないとしても、被告人浅越和夫は届け出ているものと確信していたのであつて、ことさら届け出を怠つたものではないから、届出義務違反について同被告人は全く犯意がなく、いずれよりみても同被告人は無罪であり、従つて被告会社も右義務違反については無罪を言渡されるべきものである。この点原判決は事実を誤認しており、破棄を免れない、というものである。

所論につき判断するに先立ちまず職権をもつて審案するに、労働基準法八九条によれば、常時一〇人以上の労働者を使用する使用者は、所定の事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならないとされているところ、ここにいうところの使用者とは、同法一〇条により「事業主又は事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者」をいうのである。これを本件の就業規則の作成・届出に即してみると、右使用者とは特定の事業場に適用されるべき就業規則を立案して作成し、届出に必要な労働組合等の意見を聴取し、しかるのち行政官庁に届け出ることについての実質的な権限の全部又は一部を、事業主から包括的に与えられており、そのために右の点に関し事業主に対しなんらかの責任を負う者をいうものと解される。従つて、かかる権限と責任を有する者は、その事業場内における職制上の地位・名称のいかんにかかわらず、右の使用者に含まれるのであるが、反面右のような実質的な権限と責任を有しない者は右の使用者には含まれないというべきである。そこで、右の点につき被告会社の実情を証拠によつて検討すると、

一被告会社は、主として金甲山温泉・光南台温泉の設備経営を目的として昭和三六年八月三一日設立され(九一丁以下の登記簿謄本)、会社の定款には他の目的も掲げられているものの、実際は金甲山温泉ホテルを経営するのみで他になんの事業もしておらないこと、(三一七丁)

二右会社設立当初から右金甲山温泉ホテルには常務取締役近藤球一郎が常勤し、同人が、ホテル支配人岸田三夫を指揮して同ホテルの営業全般を統括処理する最高責任者であつたこと、そして同ホテルの従業員の雇入れ、勤務条件の決定、等労務管理の全般については右岸田が直接その責任において行ない、これを右近藤が統括していたものであること(一九四丁、一九六丁ないし一九七丁、二一六丁表裏、二七一丁裏、三一八丁)、その後昭和三九年一月に右近藤が常務の地位を退き(一九四丁、二〇五丁裏)、同四三年八月には小山了が常務取締役となり、さらに同四四年三月岸田支配人が退職して右小山が支配人を兼ねるというように、担当者の交代があつたが(二八一丁)、労務管理を含む同会社の業務全般の処理の状況は終始かわらなかつたこと(二八二丁裏、二八三丁、二九二丁裏、三一〇丁裏、三一八丁)

三右会社の就業規則は、昭和三八年一月か二月ころ、右近藤が岡山労働基準監督署の係官から教示されはじめて作成届け出なければならないことを知り、同人はそのころ同署に赴いて係官より種々説明・指示を受けたのち支配人の岸田にその作成方を指示したので、岸田は下電観光ホテルの就業規則を入手してこれを参考に同年二、三月ごろ金甲山温泉ホテル就業規則を作成し、印刷製本のうえ、そのころ右近藤、岸田両名において同ホテル従業員にその内容を説明し、これを周知させたこと(一九四丁裏、二〇四丁表、裏、二一七丁表、裏、二二二丁)

四被告人浅越和夫は、右会社設立当初から代表取締役であつたが、同人は、県会議員であつたほか児島湾土地改良区理事長、同湾淡水漁業協同組合長等の団体役員を兼ね、また数社の代表取締役や役員でもあつて多忙な身であつたため、金甲山温泉ホテルにのみ専念常勤することは不可能であり、精々一か月に数回出勤して同ホテルの資金計画や、株主総会・取締役会の招集・運営、経営内容を把握して必要な指示をすること等、最高枢要な事項についてのみ関与する程度で(六四丁裏、一九九丁、二七二丁、三一六丁、三一七丁裏)、会計担当者等一部重要な職員の採用に当つて特に指示するようなことはあつても、職員に対する賞与の配分方法、一般従業員の採用、配置、解雇等を含む日常の労務管理はもとより、同ホテルの業務全般についてはすべて前記のように近藤常務・岸田支配人さらにこれらの後継者である小山常務らに委ねており(三一八丁)、就業規則の作成についても同被告人は全く関与しておらず(一九九丁、二七二丁)、いわんや同被告人がことさら就業規則の届出を怠つたと認めるべき証拠は全くないこと、

が認められ、これに反する特段の証拠は存しないのである。

右認定の事実によつて考察すると、被告会社経営にかかる金甲山温泉ホテルにおいては、その労務管理一切の最高責任は常務取締役の近藤球一郎にあつたものとみることができ、従つて、同人および同人の指示を受けて直接一般従業員を指揮監督していた支配人岸田三夫、さらにはこれらの者の後継者である常務取締役小山了らが、本件就業規則の作成・届出について実質的な権限と責任を有しており、労働基準法八九条にいう使用者に当るということができることは明白であるが、被告人浅越和夫については多分に疑わしく、同被告人は形式的にはたしかに被告会社の代表取締役ではあるけれども、本件の就業規則の作成・届出に限つてみれば直ちに使用者であるとは断定しがたいといわなければならない。しかるに原判決は、同被告人を右の使用者にあたるとたやすく断じ、就業規則届出義務違反の罪責を問うているけれども、これは事実を誤認したか、ないしは法令の解釈を誤つたものという外はなく、従つて、弁護人の前記論旨につき判断するまでもなく、就業規則届出義務違反の点につき被告人両名に対しては無罪が言渡されるべきものであつて、原判決はこの点において破棄を免れない。

次に、本件公訴事実中、被告会社に対する休日付与義務違反の点につき審究すると、右に関する訴因として検察官は当初昭和四四年二月から同四五年二月に至る各月について実労働日数・所定労働日数・与えた休日、休日労働日数ごとの一覧表を添付していたところ、第一回公判において、右一覧表中の昭和四四年九月のらん一行の記載を削除し(四九丁)、原審は右削除後の一覧表どおりの事実を認定のうえ、各月毎に一罪が成立するとの見解のもとに併合加重をしていることが記録に徴し明白である。しかし、併合罪の関係にある数個の犯罪事実を公訴事実として起訴したのち、そのうちの一個または数個の犯罪事実を公訴事実から取り除くには、必ず刑事訴訟規則一六八条の手続をふんで公訴を取消さなければならないのであり、起訴状の訂正とか訴因の撤回等の手続によつてはこれをすることができないと解されるから、原審第一回公判において、検察官が公訴事実から取り除こうとした昭和四四年九月分の公訴事実は、検察官の前記措置にかかわらず、依然原審に係属していたものというべく、原審は右事実についても審判をしなければならなかつたのである。しかるに原審においては、右事実は審判の対象から取り除かれたものとして取り扱い、これについてなんらの判決をしていないこと前記のとおりであるから、結局原判決には、審判の請求を受けた事件について判決をしなかつた違法があるといわざるをえず、原判決中被告会社に関する部分は、この点においても破棄を免れない。

ところで、右休日付与義務違反の点につき原審は各月毎に一罪が成立し、これらは併合罪の関係にあると解しているけれども、労働基準法三五条によれば、休日は毎週少なくとも一回与えるのが原則であるが、四週間を通じ四日以上与えるという方法によることも許されているところ、被告会社の就業規則二四条一項(一七六丁裏)も同ようの定めをしているのであつて、これらによれば、各労働者ごとに四週間を通じて四日以上の休日を与えなかつた場合に休日付与義務違反の一罪が成立すると解するのが相当である。従つて、各月ごとの前記訴因の記載、およびこれをそのまま認定した原判決の事実認定・罪数の解釈は適切ではなく、「昭和四四年二月二日(第一週の初日の日曜日)より三月一日(第四週の末日の土曜日)まで」(以下これに準ず)「同年三月二日より同月二九日まで」「同月三〇日より四月二六日まで」というように是正されるべく、かつ、それぞれが一罪であると解釈されるべきものである。

以上のとおり原判決中、被告人らの就業規則届出義務違反の点は刑事訴訟法三八二条に規定する事由があり、また被告会社の休日付与義務違反の点は同法三七八条三号に規定する事由があるので、同法三九七条一項により原判決を破棄し、前者については同法四〇〇条但書により次のとおり当裁判所において直ちに判決し、後者については同条本文前段によつてこれを原裁判所である岡山簡易裁判所に差し戻すこととする。

本件公訴事実中、就業規則届出義務違反の事実は

被告人金甲山観光産業株式会社は、岡山市飽浦八五二番地に本店を置き常時一〇人以上の労働者を使用し、同所において金甲山温泉ホテルを営む法人であり、被告人浅越和夫は右会社の代表取締役であり、総括責任者として労務者に対する事項を含む経営一切を統括主宰していたものであるが、被告人浅越和夫は、右会社の業務に関し、昭和三八年三月ごろ、同年四月一日から施行の法定の就業規則を作成したのに、そのころこれを所轄岡山労働基準監督署長に届け出なかつたものである

というにあるけれども、前説示のとおり犯罪の証明がないから、刑事訴訟法三三六条により被告人両名に対し、右事実につき無罪の言渡をする。

以上によつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 久安弘一 谷口貞 大野孝英)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例